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八重の桜 第50回 (最終回) あらすじ ネタバレ [八重の桜]

八重の桜 第50回 「いつの日も花は咲く」12月15日放送 あらすじ
ネタバレ いよいよ最終回、

1894(明治27)年、八重(綾瀬はるか)は従軍篤志看護婦として
広島陸軍予備病院で日清戦争の負傷兵たちを看護していました。
篤志看護婦(とくしかんごふ)とは自ら志願して戦地へも赴くなど、
負傷者の手当ての為に従事した看護婦さん。

八重さんは篤志看護婦として新たな道を歩み始めていました。
そんななか、日清戦争が勃発します。[どんっ(衝撃)]


「敵味方関係なく、苦しんでいる人たちを救いたい」・・・・・
八重さんの、どんな患者、負傷兵にも臆することなく果敢に挑んでいくその姿は、
人々の心を癒やしていきます。

陸軍予備病院内ではコレラや赤痢などの伝染病が発生し
防疫システムが未だ完全でないと思われる時代、非常に危険な状況でしたが、
八重さんは感染にひるむことなく勇敢に看護に従事して、
若い看護婦たちを見事に統率していきます。

明治29年には、その功績がたたえられ、政府より
皇族以外の女性では初となる宝冠章を受勲します。

しかし、戦争のない世を願う八重さん、
晴れない気持ちを抱いたまま故郷、会津を訪れます。
そこで、思いがけない人物と再会します。
恐らくその人物とは西郷頼母(西田敏行)でしょう!

会津戦争後の頼母さん、明治12年(1879年)、長男の吉十郎が病死のため、
甥(志田貞二郎の三男)の志田四郎を養子とし、彼に柔術を教えます。
志田四郎は成人の後、上京、講道館に入門して柔道家として大成します。
余談ですが、小説や映画で名高い姿三四郎は志田四郎がモデルとされているんですね!


西郷頼母は明治維新後は保科 頼母(ほしな たのも)と名乗り、
号を栖雲、明治36年(1903年)4月28日逝去します。

会津戦争から30年、八重さんの人生を大きく変えた人々は
会津での戦をどのように受け止め、新しい時代をどう見つめてきたのか。

締めくくりに懐かしの色々な人が、当時を振り返り、八重さんにエールが贈られます・・・・・・。

ちなみに八重さんは昭和7年(1932年)6月14日) 87歳でこの世を去ることに・・・・・。
弘化(こうか)2年(1845年)生まれ
嘉永(かえい) 安政(あんせい) 万延(まんえん) 文久(ぶんきゅう) 元治(げんじ)
慶応(けいおう) 明治、大正、昭和 と生きた方でした。



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八重の桜 第49回あらすじ ネタバレ 先読み [八重の桜]

八重の桜 第49回 「再び戦を学ばす」12月8日放送 あらすじ
ネタバレ 先読み

教育勅語が1890(明治23)年秋に発表されると、
天皇への忠義を課す一節に覚馬(西島秀俊)は懸念を抱いていました。



そんな折り、東京から山川健次郎(勝地涼)が覚馬のもとを訪ねてきます。

健次郎は川崎尚之助(長谷川博己)の会津戦記を
兄の山川浩(玉山鉄二)に代わって仕上げるために、
覚馬に京都ではどのように薩長と戦っていたのかを詳しい話を聞きます。



しかし、覚馬が薩長にも天皇に忠義を尽くす勤王の志はあったと語ったことに、
健次郎も八重(綾瀬はるか)も激しく反論します。[むかっ(怒り)]

かつて容保が孝明天皇から下賜された「御宸翰(ごしんかん)」。
御宸翰とは天皇直筆の文書のことで
これこそが、会津が逆賊でないことの証だったんですが・・・。

それを容保はなぜ公開しなかったのか…。
会津藩主として、容保が家臣に託した最期の思いとは?

京都の教育、産業、医療とあらゆる分野に大きな影響を与えてきた覚馬は
その後、同志社の卒業生たちに
再び戦を起こさぬために、今できることは何なのか・・・・・。
最期のときまで国やふるさとを思い、皆に進むべき道を示していきます。

不戦の精神を説いた後、
荷を下ろし安堵(あんど)したかのように病床に就いてしまいます。

覚馬 明治25年(1892年)12月28日自宅で逝去

そして日光東照宮宮司をつとめていた容保は、
明治26年(1893)、59才で逝去。










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八重の桜 第48回あらすじ ネタバレ 先読み [八重の桜]

八重の桜 第48回 「グッバイ、また会わん」12月1日放送 あらすじ
ネタバレ 先読み

同志社大学を設立するための募金活動の為
関東に向かった襄(オダギリジョー)は、
無理がたたり、とうとう体調を崩してしまい、大磯の旅館で療養していました。[ふらふら]

見舞いに訪れた徳富蘇峰(中村蒼)は、
八重(綾瀬はるか)さんに病状を伝えるべきだと進言しますが、
断固として襄はそれを拒みます。

一方、京都では、八重さんは襄からのはがきの文字で、
夫の体調に異変があったことを察知します。[ひらめき]

そして、すでに襄の病状を知っていた兄、覚馬(西島秀俊)から事情を聞きだし、
自分の予感が真実だったことを知った八重さんは
急ぎ襄の療養先の大磯へ向かいます。

同志社大学設立のために死を目前にしてもなお、襄は活動を続けています。
しかし、病状は悪化、最後のときが刻一刻と迫っています。
八重さんはポロポロと涙を流しながら「まだ別れたくない・・・」と、
その八重さんに襄が掛けた言葉とは?

最愛の妻へ贈るラストメッセージは心が動かされるのでは・・・ 見どころです!
タイトルの「グッバイ、また会わん」と言って世を去るのでしょうか?

明治23年(1890年)1月23日 新島襄は47歳の若さで帰らぬ人と・・・・・。[どんっ(衝撃)]


そのころ
後に日清、日露戦争の傷病者を救護することになる
「日本赤十字社篤志看護婦人会」が誕生します。
看護学という新しい分野へ挑戦する機会を八重さんは与えられますが、
最愛の夫を亡くし、焦燥感が漂う八重さん、いつものやる気はどこへやら・・・。[もうやだ~(悲しい顔)]


八重さんのとても後ろ向きな、そんな妹を、覚馬が一喝します。[むかっ(怒り)]


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八重の桜 第47回あらすじ ネタバレ 先読み [八重の桜]

八重の桜 第47回 「残された時間」11月24日放送 あらすじ
ネタバレ 先読み

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襄(オダギリジョー)は、同志社の大学設立に奔走しますが、
心臓病を患い体調の思わしくない日が続いていました。[ふらふら]

1888年明治21年頃・・・

資金集めのために動き回ろうとする襄を八重(綾瀬はるか)は、
必死に止めるが、襄は全く聞き入れません。

そんななか、同志社大学設立のための募金集会が東京の大隈邸で開かれることになり、
襄は八重さんと共に東京に向かいます。

大学設立の募金集会では、襄は名だたる財界人を前に
伝えたい思いはただひとつ、
「この国の柱となる人々を育成するため、大学をつくりたい」
と熱弁を振るいます。・・・・・・熱弁の様子見どころです!!

1889年明治22年には 大日本帝国憲法が発布されます。

聴衆の反応を気にしつつも
八重さんや徳富蘇峰(猪一郎)もそのゆくえを固唾を飲んで見守ります。

結果、募金集会は無事成功し、多くの寄付金を集めましたが
襄の体調はさらに悪化してゆき、[ふらふら]鎌倉でしばらく静養することになります。

そしてついに、主治医から襄に残された時間はあとわずか、
命が長くないことを八重さんは告げられ [どんっ(衝撃)]
八重さんは、ただ言葉を失うばかりですが、そのことを悟られまいと、
襄の前ではいつもどおりに明るく気丈に振る舞います。

しかし、夫の襄はすべてお見通しだったようですが・・・。





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八重の桜 第46回あらすじ ネタバレ 先読み [八重の桜]

八重の桜 第46回 「駆け落ち」11月17日放送 あらすじ
ネタバレ 先読み

久栄(門脇麦)は母・時栄(谷村美月)が覚馬と離縁し、
山本家を出ていって以来、ふさぎ込んでいます。[もうやだ~(悲しい顔)]

八重(綾瀬はるか)は、久栄を気遣い、母親代わりになろうと奮闘しますが、
なかなか心を開いてくれず溝は深まるばかりです。[ふらふら]

そんななか、久栄がただひとり心を許したのが
徳富猪一郎(中村蒼)の弟・健次郎(太賀)だった。

健次郎は、いつも優秀な兄と比較され肩身の狭い思いをしており、
久栄は、山本家に居心地の悪さを感じ、
2人は悩みを打ち明け合ううちに、結婚を意識し合うようになっていきます。
しかし、その展開に八重が猛然と待ったをかけます。



そんななか久栄の駆け落ち騒動が起こります。
久栄は、小説家をめざす徳富健次郎(後の徳冨蘆花)と共に
内緒で東京に向かおうとしますが・・

一方みねと伊勢時雄夫婦に男児が誕生します。
佐久はひ孫の誕生に、目じりが下がりっぱなしです。[わーい(嬉しい顔)]

山本家は幸せな空気に包まれていますが
しかし、幸せな時間はそう長くは続きません。
みねに訪れる最期のとき。[もうやだ~(悲しい顔)]
そして、襄の父民治までも最期を迎える事に。[もうやだ~(悲しい顔)]



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八重の桜 第45回あらすじ ネタバレ 先読み [八重の桜]

八重の桜 第45回 「不義の噂」11月10日放送 あらすじ
ネタバレ 先読み

アメリカから5万ドルという巨額の資金援助をたずさえて、
1885年(明治18年)襄(オダギリジョー)が1年8か月ぶりに帰国します。

中央では太政官制が廃止され内閣制度が発足した年
伊藤博文が初代内閣総理大臣になります。

八重(綾瀬はるか)は、襄との久しぶりの再会を喜びます。

これで大学設立は順調に進むかと思えたのですが・・・・・、[どんっ(衝撃)]
なんと時栄(谷村美月)と青木(永瀬匡)の不倫関係が
うわさ話となって町に知れわたってしまい、
同志社の宣教師たちからも不協和音が噴出する事態を招いてしまいます。[ふらふら]

覚馬(西島秀俊)は、事態収拾のため、商工会議所会長を辞職します。
そして責任の重さを悟った時栄は山本家を去ることになるのでしょうね!?


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襄の留守中に、同志社女学校が廃校の危機を招き
八重さんは女学校のため戦っています。

頭を抱える教師たちを前に、[ひらめき]八重さんは寄付を集めるため、実業家たちのもとを訪ねたり、
授業参観を開催したり「ピンチはチャンス!」とばかりに行動に出ます。[ひらめき]

一方、妻であり女である時栄
青木栄二郎に好意を寄せられ、時栄の心に芽生えた許されざる思い。
覚馬の妻が書生と不倫・・・????[どんっ(衝撃)]

この時栄の信じ難い軽はずみな行動は、瞬く間にうわさとして知れ渡り
山本家は窮地に追い込まれていきます・・・。[ふらふら]

八重さんに[むかっ(怒り)]詰め寄られた時栄は、女としての複雑な心の内を明かします。
複雑な女心・・ 見どころですね!



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八重の桜 第44回あらすじ ネタバレ 先読み [八重の桜]

八重の桜 第44回 「襄の遺言」11月3日放送 あらすじ
ネタバレ 先読み



同志社英学校を大学にする資金集めのため、
襄(オダギリジョー)は八重(綾瀬はるか)が心配するなか、
1884年(明治17年)欧米に旅立ちます。

同志社を大学にしたい・・その夢を実現するため、襄は単身海外へ行きますが、
襄の病気(心臓疾患?)はどんどん進行していき、耐え難い苦しみが彼を襲います。
残された時間がそう長くはないと悟った襄は、ある行動に出ます。
ある行動とは、それが遺書をした為、八重さんに送ることだったんでしょうか?

八重さんは留守を任される事となりますが、
米国人宣教師たちと女学校の運営方針をめぐって口論になり、
険悪な状態になってしまいます。

そんな時、スイスの襄から遺書が郵送で届きます。[もうやだ~(悲しい顔)]

一方、覚馬(西島秀俊)のもとには、
青木栄二郎(永瀬匡)という書生が新しい学問を学ぶため青森から訪ねてきていました。
若くてかっこいい新顔の登場です!

早速、彼は山本家に住み込み勉強を始めますが、
次第に時栄(谷村美月)に好意を寄せるようになって
なにやらよからぬ雰囲気になってきました。
山本家はどうなるのでしょう・・・・!?





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八重の桜 第43回あらすじ ネタバレ 先読み [八重の桜]

八重の桜 第43回 「鹿鳴館の華」10月27日放送 あらすじ
ネタバレ 先読み


同志社大学の設立を陳情するため
襄(オダギリジョー) は八重(綾瀬はるか)と共に、
東京の勝海舟(生瀬勝久)のもとを訪ねます。

そして、2人はその帰りに山川家に立ち寄ったところ
旧薩摩藩士の陸軍中将の大山巌(反町隆史)が、
山川家の末娘の捨松(水原希子)長期留学から帰国したばかりですが
嫁にほしいと山川家に日参していました。[どんっ(衝撃)]

捨松は西洋の流儀や学問を身につけ、意気揚々と日本に帰ってきましたが
同じく留学生だった津田梅子と共に、女子教育を確立させるべく奔走します。
が・・・・、


女性が働く場は維新後の日本にはなく、逆に疎まれる世相でもありました。[ふらふら]
そしてさらに、洋装姿をまるで外国人扱いの様に奇異の目で見られる始末。
捨松が心折れかけていたところに、手を差し伸べたのは大山巌だったのでしょう!?

しかし長兄の浩(玉山鉄二)は旧薩摩藩士との結婚に怒りを抑えきれず、
また、迷いを捨てきれない妹の捨松の心情。
八重さんはその様子を見かね一計を案じます。[ひらめき]



八重さんは捨松の結婚をめぐり、なんと大山巌と腕相撲で勝負をすることに…。[どんっ(衝撃)]

今度こそ負けるわけにはいかねぇ――と八重さんの意気込みはすごいですよ![どんっ(衝撃)]
あの会津戦争の汚名返上とばかりに、八重さんは息巻いています。

浩と健次郎も応援に熱が入ります。見どころですね!
さて、勝利の女神は一体どちらに微笑むのか!
といっても 所詮八重さんは女性、大山巌は決して華奢な男ではないですヨネ!

捨松は大山巌と夫婦になりますので、八重さんは負けたことに悔しがるのか
大山巌の人となりを捨松がよりどころにしていることを知って
八重さんは腕相撲に負けても結構晴れやかなのかも!?

以上は勝手な想像ですが、実際のところ八重さんが勝つのでしょうか?









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八重の桜 第42回あらすじ ネタバレ 先読み [八重の桜]

八重の桜 第42回 「襄と行く会津」10月20日放送 あらすじ
ネタバレ 先読み

新婚のみね(三根梓)と伊勢(黄川田将也)を連れ立って、
襄(オダギリジョー)と八重(綾瀬はるか)は、
会津への伝道旅行に出かけることに



生き別れたみねの母 うら(長谷川京子)に再会できるかもしれないという
淡い期待があったので、八重さんは、みねを連れていくことにしたのでした。

そして、八重さんは15年ぶり、一行はついに懐かしい故郷の土を踏みしめます。

山本家が建っていた場所は長屋に変わっていましたが、
八重さんとみねは、かすかに角場の遺構を見つけて思い出に浸っていると
そこへ懐かしい顔、下女だったお吉(山野海)が現れます。
そして、うらの消息について堅い口を開き始めます。

襄と共に会津の地を訪れた八重さんですが
その心によみがえる数々の思い出があります。

初めて鉄砲に触れたときのことや尚之助にプロポーズされたときのこと、
そして、あの悲しい戦争のこと等など…。



変わり果てた故郷を見つめ涙する八重を、
変わらぬ笑顔で迎えてくれたのは、下女だったお吉さんたちでした。

うらとみねは、母と娘の悲しい別れから11年が経ち
ようやく再会の時を迎えます。

思わず笑みがこぼれ、また、うれし涙を見せる娘 みね。
母 うらもまた、立派に育ったわが子の姿に感極まり涙、涙です。
2人が見せる、再開の喜びと悲しみの涙、見どころですね!








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八重の桜 第41回あらすじ ネタバレ 先読み [八重の桜]

八重の桜 第41回 「覚馬の娘」10月13日放送 あらすじ
ネタバレ 先読み

1880年 板垣退助(加藤雅也)たちの自由民権運動が勢いを増すなか、
槇村は京都府知事という立場を利用し、
府議会の意見を無視する独断専行を制しようとします。[どんっ(衝撃)]


税の追加徴収をめぐり、槇村と京都府議会が対立し
覚馬と槇村との間には、不穏な空気が流れています。

覚馬(西島秀俊)ら京都府議会は、新聞を使って世論を動かし、
横暴な槇村(髙嶋政宏)の府政に攻撃を仕掛けていました。

そんなある日、同志社卒業生の伊勢時雄(黄川田将也)は今治で伝道に励んでいましたが、
かねてから心を通わせていた覚馬の娘・みね(三根梓)に結婚を申し込みます。
みねも伊勢時雄に思いを寄せていました。

そして伊勢は、みねを妻にしたい覚馬と八重に結婚の許しを請います。

めでたく恋が実り、ついにふたりは結婚かと思いきや、
みねはなぜか浮かない顔。そこには、別れた母への思いが・・・・、[もうやだ~(悲しい顔)]

みねは母 うら(長谷川京子)のために婿をとって山本家を継がねばと思っていましたので、
結婚をすんなりと許した覚馬に激怒します。[ちっ(怒った顔)]
八重(綾瀬はるか)さんは、みねを心配して言葉を掛けます。

1881年 明治゙14年 みねは 伊勢時雄と結婚し今治へ行きます。
(後年 明治30年 1897年 第3代 同志社の総長になります)







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